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フィルモ()は、アメリカ合衆国のベル&ハウエルが製造した16mmフィルムの映画用カメラ、映写機、付属品の製品ラインである。 == 略歴・概要 == === 略歴 === フィルモ撮影機のシリーズは、1923年(大正12年)のフィルモ70に始まる。それは、半世紀以上にわたって続いた、同一の基本筐体に築かれたモデルのシリーズの始まりであった。ベル&ハウエルがアマチュア用に意図した17.5mmフィルム用撮影機の1917年(大正6年)の輝かしいプロトタイプが、ベースになっている〔Zimmermann, p.28.〕。1920年(大正9年)、同社がとともに、コダックの16mm計画に招かれたとき、同社はすばやく先進性を理解し、直ちに17.5mmフィルム用撮影機を16mmフィルム用に再設計したのだった。 「フィルモ70」は、最初のバネ仕掛けモータードライヴによる16mm撮影機である。1925年(大正14年)には、「フィルモ70」の設計をベースにした手持ちの35mmフィルム用撮影機、アイモを登場させた。アイモもまたバネ仕掛けであったが、同様に手回しとしても使用可能であった。ベル&ハウエルが、レンズの回転台を搭載した最初の16mm撮影機であるモデルCを発表したのは、1927年(昭和2年)であった。豪華絢爛に装飾され、さらに小型になった16mm撮影機フィルモ75がそれであった。同モデルは、1928年(昭和3年)には、何よりも「腕時計のように薄型」の女性用カメラとして売り出された。次いで1931年(昭和6年)には、ほぼ正反対のアイデンティティをもってデザインされたフィルモ・フィールド・カメラが、そっけない外観で発表された。しかし、「フィルモ75」の華美な装飾も使用可能であり、ネームプレートを除けば、初期のヴァージョンから区別はつかないものであった。 1932年(昭和7年)、コダックが8mmフィルムを発表したとき、ベル&ハウエルはこの新規格には飛びつかず、ベル&ハウエルが8mmに着手したときには、それはすでにコダックのスタンダードではなかった。初めて8mm用のフィルモが発売されたのは1935年(昭和10年)、それはシングル8用の撮影機、フィルモ127-Aであった。この「ベル&ハウエル式シングル8」は、ダブル8(スタンダード8mmフィルム)ほどには市場に出回ることはなく、1936年(昭和11年)にはダブル8に設計しなおされて、フィルモ134-Aとして発売された。第二次世界大戦後の1950年代までフィルモの生産は続けられたが、このタイプの筐体のものであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フィルモ (撮影機)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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